今の私の感覚のまとめ

 

私は、彼といると「小さくなる自分」がいた。


安心できる瞬間も確かにあったけれど
それは彼の機嫌や言葉、雰囲気に左右される
条件付きの安心だった。

 


不満や違和感を投げかけても
最後は私が折れることで関係は保たれてきた。

 


振り返ると、対等な位置に立てたことはなかったと思う。

 


それでも、彼が私を認めてくれたこと
私の感性や世界を広げてくれたことは事実。

 


彼と出会い、過ごした時間があったから
今の私があるのも確か。

 


だからこれは
「否定して切る関係」じゃない。

 


感謝して、役割を終える関係。

 


私がもう揺れなくなったこと。
承認を求めなくなったこと。


小さくならない自分を選び始めたことは
きっと彼にも伝わっている。

 


今起きている出来事は

終わりに向かうための最後の揺れで

私はもう俯瞰の場所にいる。

 


見透かされていた関係から、在るだけでいい私へ。


誰かに世界を広げてもらう段階は終わった。

 


これからは
私が私の光を、私自身で扱っていく。

冷たい態度だと思っていた人達の正体。

大人の態度に気づいた日

最近、ある出来事を通して
自分の中で大きな気づきがあった。

 

昔から私は
「なんでそんなに冷たいの?」「なんで寄り添ってくれないの?」
そう感じる人に出会うことが多かった。

 

・ちゃんと話せばいいのに
・ちゃんと説明すればいいのに
・もっと向き合えばいいのに

そう思いながら
相手の分まで感情を抱えて。
理解しようとして。
整えようとしてきた。

 

でもそれで一番苦しくなっていたのは
いつも私だった。

 

 

今回の出来事で
初めてはっきりわかったことがある。

 

 

それは
無責任でも、冷たいわけでも、適当でもない態度

 

それは
大人の態度だったんだということ。

 

 

・線を引くこと
・踏み込みすぎないこと
・判断を相手に返すこと
・専門家に任せること

それは逃げでも放棄でもなく
「自分の責任」と「相手の責任」をきちんと分けているということだった。

 

 

今の私は「はいはい、専門家通してくださいね〜」
と、少し肩の力を抜いて言えている。

 

 

昔の私なら
・ちゃんと説明しなきゃ
・誤解されたくない
・相手を安心させなきゃ

 

そうやって自分の役割じゃないところまで
抱え込んでいたと思う。

 

 

でも今は違う。

これは私の誠実さを証明する場じゃない。

そう思えるようになった。

 

 

 

自分で言うのもなんだけど
私はかなり真面目で完璧主義が強い。

 

・ちゃんとやろうとしすぎて
・正しくあろうとしすぎて
・人の分まで背負ってしまう。

 

だからこそ
この「大人の態度」に気づけたことがとても大きかった。

 

 

今回の出来事で出会った人も、結果的には
私に大切なことを教えてくれた存在だった。

 

 

人は、出来事を通して
ちゃんと学ぶようにできているんだなと思う。

 

今は

この気づきと
今の自分の在り方に
素直に感謝している。

 

 

そしてこれからは

・寄り添うことと
・手放すことを
ちゃんと選べる大人でいたい。

 

 

そんなふうに思えた一日だった。

2026年明けました。

お久しぶりです笑

そして新年明けました!!

 

今年もどうぞ、よろしくお願いします。

 

前回からどのくらい空いたかわかりませんが

思いついたので久しぶりに書きまーす笑

 

2025年の振り返りでもいいかなー?

今の変化とか気づきでもいいかー??

 

今、まさに受け取れたギフトにしようかな!!

 

もともと私は感性が強くて

物事1つ1つに対して深く向き合ってきた。

 

感じたくない。考えたくない。気にしたくない。

 

それが実は苦しくて、生きづらかった。

 

「みんなどうやって切り替えてるんだ?」

「なんでみんなそんな平気なの?」と思って

比較を始めて、よくある「自分なんて…」にたどり着き

まぁーーーーーーー苦しかった笑

 

私の生きた環境には必要だった「感性」

でも私を苦しめる「性格」と位置付けしてた。

 

そんなことを約30ちょい生きて

気づき、位置を変えることができた「今」

 

 

どうなったかというと…

 

 

 

次回にしまーす笑

気になる方はゆるりとお待ち下さい笑

 

では!!!

お久しぶりです。(内容重ためです)

また期間が空いてしまいました。笑

 

前回更新したのがいつかもわからず…

思いついたときにしか書いてないです。はい。笑

 

私が出現しない間に皆さんはどのように過ごされていましたか?

心優しい方はぜひ、コメント下さい。笑

 

コメントがこなそうなので

つい最近の出来事について、記録として書きます。内容は重ため。

 

自分の気持ちを忘れないためにも書かせてください。

 

 

 

 

7月4日に同居していた祖母が亡くなった。

祖母とは生まれたときからずっと一緒に住んでおり

小さいときからたくさん面倒を見てもらっていました。

 

お腹が空いたといえばちゃちゃっと作ってくれたり

親には内緒でお小遣いくれたり

やんちゃしたときは親と同じくらい心配してくれたり…

 

そんな祖母が今年入ってすぐに散歩中、転倒。

その出来事がトラウマ、恐怖となり家から出なくなっていました。

 

次第に体調を崩し、病院通いが始まり

動かなくなったことにより、会話も減り認知が進み。

腎臓を悪くし、透析をしないと半年もたない。と余命宣告を受けました。

 

余命宣告されたとき祖母は治療をしたくないと言った。

痛いことはしたくない。と。

 

みんなで話をし、透析をすることに納得はしてくれた。

 

そこからは腎臓の数値を調べながら、手術の選択

通うところ、日数、時間などたくさん考え祖母の体調を様子見した。

 

余命宣告されてから数値が思ったより悪くならず

一定の数値でとどまり祖母の腎臓がとても頑張っていました。

 

少し下がっては維持。下がっては維持。

ですが1ヶ月ほど前に数値が急激に下がり、急遽透析の手術をし

翌日には透析ができるようになりました。

 

術後一週間、二週間と様子を見て数値は維持。たまに回復。笑

祖母の腎臓が頑張り、ギリギリのところでしばらく耐えていました。

 

ですがこの期間、祖母は虚ろになったり全身のかゆみ、食欲低下

昼夜逆転、排泄問題に苦しんでいました。

 

いっそのこと透析を始めたほうが楽になる。と感じていたが

透析を始めることもまた、体力や免疫力などの問題があった。

なので先生との話し合いでギリギリまで透析は始めないことになっていた。

 

次の通院予定の数日前に意識低下と呼吸低下。

様態が急変し、救急搬送。

そのまま入院。検査の結果、数値がガクンと下がっており透析開始。

 

予約していた日に来ていたら間に合わなかったと…

 

入院したその日に透析をし次の日には、意識が戻り会話もできた。

本人は意識混濁の中入院したため

ここがどこなのか。なぜ一人なのか。何をされているのかわからず

あった瞬間に涙した。

 

その光景が今も残っている。

 

入院した日から2,3日は透析の効果もあり元気になってきていた。

 

しかし肺炎を発症し、意識が混濁。

反応があったり、まったくなかったり。数時間で様態が変化していた。

 

自分の意志関係なく、体が動いてしまうため拘束も数日された。

酸素が低く、酸素マスクをし。酸素もマックスまで。

 

先生からもっても数日と。

毎日通い7月3日。今夜がやま。と言われ覚悟を決めた。

 

だが祖母はその日を乗り越えた。

 

しかし翌日の7月4日、お昼前。

意識がほぼなく、会話も反応もなし。目も閉じたまま。

 

酸素をつけ、自力呼吸を懸命にしていた。

夕方には親戚一同集まり、みんなで必死に声をかけた。

手を握り、体を擦り、声をかけ。

 

その後、みんなに見守られながら、息を引き取った。

 

入院してから1週間と1日。

透析は4回。

 

やっと苦しみから開放されたね。

たくさん頑張った。お疲れ様。ゆっくり休んでね。

体につけられたもの。何もかも外し。痛かったね。

 

たかが4回だが透析をしたのでアザもでき、血管も痛々しかった。

 

 

家族全員。みんなが見守れて良かった。

ばーちゃん。今まで本当にありがとう。大好き。

これからは空から見守っててね。

 

 

初めて身内が亡くなり、言葉では言い表せられない感情。

だが悔やんだり後悔はない。

ただただ、お疲れ様。たくさん頑張ったよ。ありがとう。

 

 

そこからはあっという間。

通夜をし、火葬。

 

火葬前に号泣。

 

姿があるうちはまだ良かった。

棺に入れ運ぶときに、嫌だ。と強く思った。

 

姿形がなくなった。

 

でもばーちゃんは私の中にずっといる。

声も顔も体温も。

 

なくなって2ヶ月経とうとしている。

未だに呼んでしまう。話をする。

 

きっとこれから先も変わらずに。

 

タブーなんて思わない。何度も思う。話す。

考える。そして懐かしむ。

 

 

私の大切で、大事で、大好きな「ばーちゃん」

 

はじめまして。笑

気がついたら、時間が止まらず

長い期間更新できませんでした。笑

 

消えかかっていたので改めて「はじめまして」と

ご挨拶しますね…笑

 

 

最近は忙しくないようで、忙しい日々を送っています。

 

新しい何かがあるわけでもなく

 

同じことばかりでもなく

 

あ、同じことばかりではあるのですが

ルーティンにはなっておらず

その時その時で、入れ替わり、無くなり、増え…

 

その中で自分がやりたいことに挑戦したりしております。笑

 

挑戦といえるまでのことはできたませんが

自分が思った、感じたことを行動に移すことが

まずは大事だと最近思うので

「挑戦」と自分でしております。

 

皆さんは最近「挑戦」したことありますか?

新しく始めたことや学んでいることなど

気が向いたら教えて下さい!笑

 

 

個人的な思い出として一言。

・7年7ヶ月勤めた職場を退職しました(今日。笑)

自分からではなく閉店すると言われ、切られた笑

いとも簡単に。それもこちらから退職すると言う形で。

会社都合のはずなのに。

 

よくある話なんだと思います。

だから雇われている方!!自分を大事に働きましょう。

「会社のため」という思いは、なるべく小さく持ってください。

 

なんて。

おせっかいなことを、残します。

 

 

ではでは~笑

お久しぶりです。笑

やはり続けるのってなかなか難しい…

 

慣れていないことだとなおさら笑

 

最近はなんだかうまく行っているような、いっていないような?

 

自分でもわからなくなっている日々。

 

熱意が冷めてきている感覚でもあり

意欲はあるみたいな。

 

コツコツが大切だということはわかっているのにできない。

 

できないじゃなく、「やらない。」選択を無意識にしているのかもしれません。

 

意識の部分は本当に厄介で、こびりついた意識は無意識に変わり

どんどん引き戻されてしまう。

 

意識も習慣ずくと、無意識に変わっていく。

 

そんなことを考える今でした。

変わらない。

 

「この人は違うから」

と思ったり感じたことがある人は多いんじゃないかな。

 

恋愛相手、友達、先輩など。

 

同じ人はいないからその意見は間違っていないと思う。

似ている結果になったのを「結局同じじゃん」と思うか

同じだったけどここは違ったなと思うか

結果は同じだけど自分はこうできたと思うか。

 

感じ方、捉え方で「自己責任」「他者責任」と変わってくる。

 

ほとんどの人が「クソはクソ」と思いますよね。笑

信じた自分が馬鹿みたい、いいように利用されたなど思う人もいるかな。

 

これは「他者責任」ですね。

その結果になった経緯の中にご自身の判断のもとで行ったことがあります。

相手からなにか言われて許したとはご自身。

自身の決断、判断をなくしてしまうんですよね。

 

自分で責任を取るより、他人にとってもらったほうが楽ですもの。笑

「あいつがこうだったから」「あいつのせい」と思ったり言えば

自分は「傷ついた」「悪くない」となります。

 

誰かに話せば寄り添ってくれる人がほとんどでしょう。

温かい言葉と相手への愚痴大会の開幕です。笑

 

それはいい関係なのか。

その経験は悪いことなのか。

そこから学べるものはそれだけなのか。

なにもせず過ぎ去っていいものなのか。

 

など考えるとおもしろいですよ?笑

 

 

まとまりないな笑

今回はここまで。笑